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歴史資料館

地名の由来

町名となっている「三篠」は太田川の別名「御篠川」(みささがわ)に由来する。「御篠川」は太田川とその支流・分流が笹の葉を重ねた形に似ていることから名付けられた。

江戸時代の新庄・楠木・打越各村

江戸時代、のちに「安佐郡三篠町」となる地域は新庄・楠木・打越の3村に別れており、いずれも沼田郡に属した。これらの村は藩政時代の太田川治水工事により新田として開発された地域であり、蔬菜の他には藍の産地として知られていた。楠木村に属する横川は雲石街道(国道54号線の旧線)から広島城下への入り口という交通の要所であり早くから市街地が形成されていた。

三篠村から三篠町へ

明治時代に入っても上記3村はしばらく持続したが、1889年(明治22年)の町村制施行により統合され、「沼田郡三篠村」が新たに発足、村役場は大字楠木(旧楠木村)に設置された(のち沼田郡と高宮郡の統合にともない安佐郡三篠村に変更した)。1897年(明治30年)、山陽鉄道(現JR山陽本線)が徳山まで開通すると、村内には広島駅の西隣の駅として横川駅が開業し、旧雲石街道には商店街が形成された(1903年には日本最初の乗合バスが横川〜可部間に開業したが同年中に廃止された)。そして1907年(明治40年)には町制が施行されて「安佐郡三篠町」と改称、さらに1910年(明治43年)には大日本軌道の横川〜祇園間の路線(現在のJR可部線)が開通した。このころから川舟による太田川水運に代わって、鉄道が海運に接続する物資運搬を担うようになっていった。

広島市への編入合併

町の主要産業であった藍作は第一次世界大戦頃から次第に衰退に向かい、楠木では製針・製材・家具・ゴム工業が発達して工業地帯を形成、新庄・打越は稲作・蔬菜栽培を中心とする農村地帯となった。また1917年(大正6年)には、市電(現在の広島電鉄横川線)が左官町(現在の中区本川町)から横川まで開通、横川は同年浜田方面への郊外バスの発着場となるなど県内陸交通の一大拠点となり広島の北の玄関口としての地位を固めた。そして1929年(昭和4年)、三篠町の広島市への編入合併に至る。

記事出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

沿革

1889年4月1日 沼田郡楠木・新庄・打越の三村合併して三篠村となる。
1898年10月1日 沼田・高宮両郡の合併により安佐郡に変更。
1903年 国産ボディに車による我が国初の乗合自動車が横川・可部間の運行を始める。
1907年1月1日 安佐郡三篠村に町制を施行。三篠町生れる。
1920年 この年の町の総戸数1,710戸
1928年 可部軌道三篠・古市間において電車の運転を開始。
1929年4月1日 広島市に編入し消滅。旧町域は同市「三篠町」となる。
町内商工儀業者、三篠商工会員を以って「三篠実業会」を組織。
1938年 三篠町郵便局開局。
1965年 二級国道五十四号線の横川ガードと祇園大橋間1.7キロに二十四基の街灯を設定、点灯開始。
新庄橋、三滝橋間での最初の花火大会が開かる

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